緊急事態宣言が延長され、経済への影響も深刻となってきました。そのせいか、過激な論調が増えてきたように思います。
しかし、過度な自粛を主張する意見も、経済への影響を考えて自粛を延長すべきではないと主張する意見も、今のところもやっとすることが多いな、と感じているところです。
特に私がもやっとしたのは、サイボウズの青野社長の以下のツイートです。
自粛延長で経済がさらに悪化し、経済的に弱い立場の方々が追い込まれていきます。しかし、大企業の経営者から「自粛を延長するな。合理性に欠く」と政府に物申す人が出てきません。売上が激減している大企業も多いだろうに。日本の経済は日本の経営者にかかっていると思いますが、とても残念です。
— 青野慶久/aono@cybozu (@aono) 2020年5月1日
このツイートは、一見、いいことを言っているようですが、実は危険な議論の立て方です。自粛するかどうかは個々人の行動にかかっており、コントロールは難しいので、ここでは「緊急事態宣言を解除すべきか否か」というテーマを設定し、どのように議論すべきかを整理したいと思います。
緊急事態宣言における「合理性」とは何か?
青野社長は、「自粛を延長するな。合理性を欠く」とおっしゃっていますが、ここでいう「合理性」とはなんでしょうか。
同じツイートの中で、「経済がさらに悪化する、経済的に弱い方が追い込まれる、売上が激減する」と書いておられ、その後のツイートで「「経済が死ぬ」と書くよりも「給料がなくなる人を1,000,000人創出する」と書く方が想像しやすいかもしれません。」と書いておられることからすると、自粛を解除して、経済を死なせないようにすることが合理的である、ということのようです。
しかし、この考え方は危険です。現在緊急事態宣言を発令しているのは、感染拡大の防止、さらには感染死を抑え込むことが目的ですから、青野社長の合理性は、「緊急事態宣言を解除してさらに人が死んでもいいから、経済を救え」という内容になります。
抽象化すると、青野社長の議論は、人の生命と経済を天秤にかけて、経済を優先させろ、と言っているに等しいと言えます。これだけ見ると、人の命よりお金の方が大事、ということですから、結構危ない議論のように見えます。
緊急事態宣言を解除するか否かという議論の中で天秤にかけるべきは、生命と経済ではなく、生命と生命であるべきです。すなわち、緊急事態宣言を延長することによって失われる命の数と、解除することによって失われる命の数です。具体的には、以下の2つの数の比較衡量で考えるべきでしょう。
- 緊急事態宣言延長により失われる生命の数
=緊急事態宣言の影響により、経済支援があっても自死せざるを得ない人数
ポイントは、緊急事態宣言を解除したとしても一定程度は自粛が続くと思われるため、それによる死者数は、緊急事態宣言延長による影響と考えるべきではない点と、今回はかなりの規模の財政支援が行われていることを考慮している点です。
- 緊急事態宣言解除により失われる生命の数
=解除によって起きる再度の感染爆発によるコロナの死者数+医療崩壊により治療が受けられずに死ぬコロナ以外の患者数
こちらのポイントは、コロナによる直接的な死者数だけでなく、コロナの影響により医療資源が不足して、適切な医療を適切なタイミングで受けられないコロナ以外の患者を考慮している点です(多くのがんなどの手術が延期されていることがわかりやすいと思います)。
実際には、一連の感染症予防策によって激減している、コロナ以外のインフルエンザの死者数など、他にも考慮すべき要素はありますし、単純な数の比較にはならず、現時点で判明している情報を踏まえた確率判断にならざるを得ませんが、少なくとも「経済が死ぬから緊急事態宣言を解除すべき」というような、生命と経済を比較衡量する議論は、極めて乱暴で危ないものだと考えるべきでしょう。
生命と経済は、本当に比較衡量してはいけないのか?
さて、ここまで緊急事態宣言の解除の可否の判断においては、生命と経済の比較ではなく、失われる生命の数の比較をすべきという話をしましたが、敢えてこれに異を唱えてみたいと思います。
生命と経済という価値は、本当に比較衡量してはいけないのでしょうか?我々は、社会的にそれを許容しているのではないでしょうか。
その典型例が、自動車事故です。自動車は、統計が始まった昭和23年以降、60万人以上を殺してきました。
第1節 道路交通事故の長期的推移|平成30年交通安全白書(全文) - 内閣府
最近は安全技術が進み、死者数は右肩下がりにはなっているものの、相変わらず毎年3000人以上が交通事故で亡くなっています。もちろん、交通事故で人を死なせれば、民事・刑事・行政上の責任を負います。しかし、それは車で人を死なせていい理由にはならないはずです。
それにもかかわらず、我々が自動車を許容しているということは、自動車による圧倒的な利便性という経済的効用を、自動車事故によって失われる生命よりも優先させていることを意味します。生命と経済を比較衡量した上で、むしろ経済を優先させているわけです。
同様に、新型コロナウイルスにおいても、緊急事態宣言の延長によって莫大な経済損失が生じるのであれば、生命よりも経済を優先させるという議論はあってもいいのではないでしょうか。
生命と生命は、本当に比較衡量していいのか?
最初の議論は、緊急事態宣言の解除の可否は、失われる生命の数の比較によって決めるべきだ、というものでした。しかし、これに対して問題提起をするのが、有名なトロッコ問題です。
トロッコ問題とは、このような問題です。
-
線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
-
この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?
-
なお、A氏は上述の手段以外では助けることができないものとする。また法的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。あなたは道徳的に見て「許される」あるいは「許されない」で答えよ、という課題である。
要は、何もしなければ必ず5人を死なせ、対策をすれば必ず1人を死なせるという場合に、どうすべきかという問題です。これは、「死ぬ人の数が少なければ、人を死なせることは許されるのか」という倫理上の問題を我々に突きつけています。
新型コロナウイルスとの関係でいうと、分岐器のすぐそばにいるA氏が緊急事態宣言を解除すべきか否かを決める政府であり、何もしない=延長する、分岐を切り替える=解除するということになって、どっちを選ぼうが必ず何かが失われる、という構図です。このような構図において、失われる生命の数を比較して、少ない方を選ぶことが正しいと考えるべきでしょうか。
なお、新型コロナウイルスの問題は、トロッコ問題の設例よりも遥かに厄介です。なぜなら、線路の上に乗っていると考えるものが、人によって違うからです。
たとえば、緊急事態宣言の延長により破綻寸前の会社の経営者は、延長する路線には自分の財産、解除する路線には他人の生命を乗せた上で、分岐を切り替える=解除するという選択をすべきと主張する人が多いはずです。
逆に、新型コロナウイルスによってがんの手術を延期された人は、延長する路線には自分の生命、解除する路線には他人の財産を乗せた上で、分岐は切り替えない=延長するという選択をすべきと主張するでしょう。
これら以外にも、置かれている状況によって、路線に自分の生命/他人の生命/自分の財産/他人の財産、さらにはそれらの複合というパターンがあり得ます。
現在の状況は、そもそも意思決定するために十分な情報が揃っていませんし(冒頭の生命同士の比較衡量をするにしても、その数字の算出は相当困難であると言わざるを得ません)、何と何を比較するのか、そもそも比較衡量をしていいのかという態度決定も必要、というかなり複雑な状況です。
1つ言えることは、現在の状況は、緊急事態宣言を解除すべきか否かという点に対して、簡単にどちらかが正しいと言えるようなものではない、ということです。
したがって、私は、どのように判断すべきかという判断枠組みを示さず、自分の主張に有利な事実だけを使い、調べればすぐわかるレベルの不利な事実は言わないで安易に主張を展開する人は、どんな専門家で、どんな主張であろうが、すべて切り捨てています。
緊急事態宣言の延長の可否を法的に考えると、どうなるか?
ここまで書いてきた内容だと、結局は「そう簡単に結論が出る問題じゃないから、安易に延長だ解除だと言うべきじゃない」にしかならず、フェアではないと思いますので、私の考えもお示ししたいと思います。
私は、弁護士であるというバックグラウンドから、法的に考えるとどうなるか、という思考をします。新型コロナウイルスについても、法律(新型インフルエンザ等特措法や感染症法)ですでに想定している範囲内の対応をしますし、その枠組みで考えるべきです。
現行の法律は、生命と経済という利益衡量において、生命と経済という価値が対立した場合には、生命を優先させ、経済は最小限度という条件付きで制限するという価値判断をしています。このことは、新型インフルエンザ等特措法が物資の買上げや保管を命じたり、感染症法が最大72時間の交通遮断を認めたりしていることからもわかります。
緊急事態宣言も、法的効果だけを見れば、単なる自粛要請に過ぎません。諸外国のように、違反すれば刑事罰があったり、警察が実力行使するようなものではありません。緊急事態宣言が解除されたとしても、相当数の人が元のように経済活動を始めるでしょうが、そうでないかなりの数の人は、感染を恐れてそのまま自粛を続けるでしょうから、緊急事態宣言解除の効果は限定的です。
そして、現時点において、生命という価値を守るために最大のボトルネックとなっているのが、医療資源です。新型コロナウイルスに対応するための病床は、基本的には感染症病床と同様の設備とスタッフが必要なため、仮に一般病床が余っていたとしても、そう簡単には増やせません。また、感染症病床には他の病気の人を入れられないため、コロナ対応病床を増やせば増やすほど、コロナ以外の治療を必要とする患者を犠牲にすることになります。
また、新型コロナウイルスについては、まだよくわからないことが多くあります。一度感染して抗体ができても、そもそも免疫ができるのか否か、免疫ができてもどれくらい持続するのかはまだわかっていません。また、感染して回復した人に、後遺症が残るのか残らないのかもよくわかっていません。
他方、わかっていることは、発症前の段階から感染力を持つこと、現時点においては治療法もワクチンもないこと、高齢者・基礎疾患の患者・肥満の人は発症(重症化)しやすいこと、悪化するときはスピードが速く、重症化した場合は数週間は入院しなければならないことです。そのため、重症患者が増えると、長期間コロナ対応病床があかずに減っていくことになります。
以上のとおり、新型コロナウイルスは、自覚症状がなくても感染し、重症化した場合の対処が難しく、免疫についてもよくわかっていないために集団免疫の獲得という戦略も取り難いことから、法的効果としては単なる自粛要請とほぼ変わらない緊急事態宣言の延長は、必要最小限の措置としてやむを得ないと考えます(なお、このような考え方を「比例原則」といいます。)。
ただし、緊急事態宣言は、事実上は大きな影響があることから、徹底的な財政支援を行い、全力で財政的理由による自死が発生しないようにすべきです。特に弱い立場の人から順番に、スピード感を持って資金提供をしていくことが重要です。
なお、よく海外はロックダウンをもう解除しつつあるから日本も、という議論を見かけますが、そもそも海外のロックダウンは、解除後(緩和後)であっても日本の緊急事態宣言よりまだ厳しいものになる予定なので、日本の緊急事態宣言を批判する材料にはなりません。
また、一部の経済学者が、緊急事態宣言を延長して失業率が上がればそれだけ自殺者数が増えるから直ちに解除すべきと言っていますが、確かに過去のデータを見るとそういう傾向はあるものの、今回は感染拡大を抑え込んで移動制限が解除されれば、急速に景気が元に戻る可能性が高いため、過去の終わりの見えない不況のときとはちょっと事情が違うのではないかな、と思っています。
最後に
危機的な状況のときこそ、徹底的に情報収集し、自分の頭で冷静に分析して行動することが重要です。
今、私は、自分になにかできないかと思って、週に2~3回ほど無料オンラインセミナーをやっています。メルマガにご登録いただければ、随時セミナー情報をお届けしますので、もしよければご登録ください(サイドメニューに登録フォームがあります)。
どこの会社も大変だと思いますが、今だけ頑張って徹底的に抑え込めれば、光が見えてきます。一緒に頑張りましょう。